義本王は舜天(しゅんてん)、舜馬順煕(しゅんばじゅんき)と続いた舜天王統の王様で、1249年に王位についたとされています。
義本王が王位についた次の年、琉球国中に大飢饉がおこります。その次の年は、疫病も流行しました。
義本王は、「前の王までは、国は豊かで人々は幸せにくらしていた。しかし、私が王位についてからは、人々は不幸な目にばかり会っている。それは、私に徳がなく、それが原因でこうなったのかもしれない。誰か徳のある人に位を譲って、私は隠退しよう。」と決めたのです。
しばらくして、伊祖城主恵祖(えそ)の子、英祖(えいそ。母が太陽を飲み込む夢を見て彼を生んだとされる。)の名が、義本王の耳にも聞こえるようになります。義本王は英祖を摂政(総理大臣)にしました。
すると、疫病がおさまり豊作が続いたそうです。
義本王は、7年間様子を見守り、安心して、英祖に王位を譲り隠退しました。
どうですか、なかなか立派は王様だと思いませんか。権力にしがみつく事もせず、血縁関係でも無い人に王位を譲ったのです。民のためにと。
「自分が悪いのだ」と思うところが素晴らしいと思います。世の中には、何か事があったとき、自分は100%悪くないと心から思っている人もいますが、そうそう全部が全部、他人が悪いなんてことありませんよね。
義本王の「ひょっとしたら自分が悪いのかも」という謙虚な気持ちを見習いたいですね。
その後の義本王ですが、国頭の辺土村で暮らした、という説があります。
辺土の佐久真家に身を寄せ、そこの娘と結婚をしたそうです。
義本王の墓とされるものが、国頭村の指定建造物文化財として残っています。